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 神の言葉を求めて


by iesukirisuto

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「神の子らの生活」再読

 再読と言っても、「神の讃美」のところは、8回目の読了ということになる。今回、初めて全体が、ひとまとまりのものとして把握できたと思う。
 わたしの中にあいまいなところがあり、つながらないところがあったり、十分理解できないでいたところが、今度は、かなりすみずみまで、理解できるようになった。これでも誤解があるかもしれないが。
 よく読んでみると、納得できることばかりで、「こういうことは知っていた」という思いが起きた。バルトが言っていることは、言葉にならないながら、知っていた気がする。
 しかし、隣人愛は、「神への愛のしるし」であり、「神の讃美」であり、「証」であるいうことは、やはり、わたしはバルトのように徹底して考えてはいなかった、と思う。

 この読書は、これからのわたしの生活に根本的な影響を与える予感がある。
by iesukirisuto | 2011-06-30 11:44 | 随筆
 アウグスティヌスと子ブルームハルトの違いをメモ程度に書いておこう。その違いは、アウグスティヌスが修道院に引きさがってしまったことと子ブルームハルトが、社会民主党に入り、牧師資格を剥奪されながらも、労働者大衆の中に入っていたことの違いにある。
 アウグスティヌスにおいては、「隣人を自分のように愛しなさい」が、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの主なる神を愛しなさい」ほど強調されているように思われないのである。これは、アウグスティヌスが、修道院に入って、社会から一歩、身を引いたせいではなかったか。
 その点、宗教改革者たちが、妻帯することになった意味は大きい。プロテスタントの方が、カトリック教会より社会的なことに関心を持つのはそのせいがあろう。ここのところは、いろいろ検証が必要であろうが。というのが、今の日本基督教団は、今のカトリック教会に比べて、はるかに閉鎖的・保守的になっていると思われるからである。
by iesukirisuto | 2011-06-29 11:56 | 随筆

神への愛

 日本基督教団出版局から、1976年に出された「アウグスティヌス語録」(E.プシュヴァーラ編茂泉照男訳)を再読しながら、アウグスティヌスが、「永遠なる神への永遠なる探求」を第一のこととしているのに、次第に心を動かされ始めた。アウグスティヌスが、最後に「神を見る」(マタイ5.8)ことを目指していることは、前々から感じてはいたことであるが、わたしには、それが、かなり観想的、静寂主義的、神秘主義的ではないか、と思われて、共感できなかったのであるが、この著作を読みながら、かなり説得されてきたのである。しかし、同時にに、子ブルームハルトの書簡集「世にあるキリスト」を読んでいると、彼も、神を愛することにアウグスティヌスに負けないほど熱心であるのに、何か違ったものがあるのを感じさせられていた。
 そこで思い出したのが、カール・バルトの教会教義学の第18節「神の子らの生活」の中で彼が、「神への愛」について論じていたところである。この第18節には、「神の讃美」というところもあって、ここで隣人愛について論じられている。わたしは、今まで、この「神への愛」のところよりも「神の讃美」のところの方を何度も読んできた。そこで、わたしとって、聞きなれないことが語られていて、そこで大事なことが語られているのだろうと予感して、理解したいと思ってきたのである。それで結局、7度、今まで読んできた。しかし、今まで、何か納得できないものがあった。
 今回、アウグスティヌスの言葉を読みながら、あらためて「神への愛」のところに目を向けることになり、そこを、たぶん、今度初めて本気で読んだ。その結果、わたしに今まで明らかでないことが明らかにされてきた。そして、あらためて、これに続く「神の讃美」を新しく「神への愛」の読書から得た、新しい地平の中で読み直すことによって、「神の讃美」も新しい理解に達するのではないか、と期待している。
 この「神への愛」と「神の讃美」は、キリスト者の生活の根本・中核・核心をなすものであって、いわゆる「キリスト教倫理」の土台をなすものであろう。ここであやまつのは、致命的である。その点、わたしはキルケゴールからは離れてしまった。
by iesukirisuto | 2011-06-29 11:33 | 随筆
 上記の書物は、ロベール・ルジユーンの編集による書物の翻訳で、井上良雄先生が訳者、新教出版社が2001年の発行したもので、今回、7度目の読了である。説教の中で、「肉におけるキリスト」のところを読み直したくなり、読み終えた後、他の説教も読み直す気になり、最後に、ルジューンが書いている伝記の部分も再読した。今回、すみずみまで読みぬいた気がする。

 伝記の最後の部分を読み進めながら、わたしは次第にあの有名な、

 イエスこそ、すべての敵に勝つ勝利の君
 やがて世界は御足のもとに伏す
 イエスは輝きをもって来たり
 闇より光に導き給う

 の歌にすべてが収斂していくのを感じていた。わたしの生涯の意味も、これからすべきことも、イエスが勝利者であり給うこと、イエスはやがて来たり給うであろうということに、尽きるであろう、ということが明らかになってきた。そういう光の中に、ブルームハルト父子の生涯も、内村鑑三の生涯も、カール・バルトの生涯も、ボンヘッファーの生涯も、井上良雄の生涯も、わたしの生涯も包まれているのである、と思う。この書物の最後に書かれていることは、未だ、終わりを迎えていない。わたしたちは、ここに描き出されている道をなおも、前に進んできているのである。しかし、主はまだおいでになっていない。
by iesukirisuto | 2011-06-24 19:37 | 随筆

マルクス主義の批判

 シモーヌ・ヴェイユの「自由と社会的抑圧」を読み続けているのだが、第1章の「マルクス主義の批判」をもう一度読み直して、1934年に既に、このように論じている人がいたのだ、と驚いている。1934年というとヒットラーがドイツの政権を掌握した次の年で、告白教会が成立した年でもある。ロシア革命の後、20年もたっていない。この時点で、ヴェイユは、マルクス主義の問題点をはっきり認識している。これは、愛知機械でベルトコンベアーの作業をした経験があるわたしには、よくわかる。彼女が、なぜ工場労働の経験をしたがり、その経験を「工場日記」に書いたかわかる。
 わたしがマルクス主義者にならなかったのは、ドストエフスキーと愛知機械での経験が大きかったと思うが、それを十分、言語化できずにいた。だから、静岡大学の学生時代、マルクシズムについて、学生の間で議論したとき、わたしはどうしてもうまく言えなかったところがあった。それだからこそ、洗礼を受けたあと、30歳を過ぎてから「資本論」を購入し、ある程度、読みもしたのである。
 それ以来、マルキシズムにどのような態度をとるかは、青年時代からのわたしに課せられた課題であった、といえよう。つまり、果たしてしない宿題という感じが残り続けていた。世間では、マルキシズムはとっくの昔に時代遅れになっていたのに。というのが、世間の判断をあまり尊重できない、というのは、もう中学2年生ぐらいから私にはあった、からである。
 今回、25歳の彼女が、このようなことを書いたのに、驚いている。1960年代の終わりに、日本の学生たちが論じていたことは、ここで既に、乗り越えられていた。如何に、時代遅れのことを論じていたかと思う。彼女の議論は、30年後のわたしたちの議論を越えるものであった、と思う。
 釜ケ崎の問題に取り組んでいる人たちは、彼女のものをよく読んでいるらしいことを、昨年あたりから、わたしは気がついていたのだが、その理由がわかった気がする。
by iesukirisuto | 2011-06-09 11:35 | 評論

事務能力の増大

 前回、「待ちつつ急ぎつつ」と題して書いたが、その後、思っているのは、事務能力を増やさないことには動きがとれない、ということである。現代は、パソコン、メールなどが使いこなさせないと素早く動けない。
 そして、わたしは、書類をまとめることや捨てることが苦手である。ファイリングも苦手である。こういうことが苦手なためにできないことがたくさんある。そのために「急ぎつつ」ができないところもある。一つは、ここに解決しなければならない問題がある。
by iesukirisuto | 2011-06-07 13:35 | 随筆

待ちつつ急ぎつつ

「待ちつつ急ぎつつ」は、ブルームハルト父子の標語のようなものであるが、わたしは、いつも、この「急ぎつつ」の方が自分に欠けていると感じてきた。
 「待ちつつ」というのは受動性を現し、「急ぎつつ」というのは、積極性を現す。これが、ブルームハルト父子の生き方であり、キリスト再臨を待ち望む姿勢である。内村鑑三は、第一次世界大戦のあと、その衝撃を受け止めて、再臨運動を始めた。それは、言葉に限定された運動だった。
 その点、ブルーハルトのキリスト待望は、ブルームハルトに労働者の苦境に目を向けさせ、やがてそれは、ブルームハルトの社会民主党に入党させ、そのことによって、彼は牧師資格をはく奪されたのだが、意に介せず、「神の国」の証人であり続けた。
 わたしは、内村鑑三より、ブルーハルトに近い立場をとりつつある。
 わたしの課題は、この「急ぎつつ」がいかに自分の現実になるか、であって。そのことを祈らないわけにはいかない。
 わたしは、愛知機械をやめる前、世界の破滅的な終わりを予感した。そのことについては、このブログを始めた最初のころ書いた。それから、わたしのそれまでにもましての読書が始まったのである。しかし、これは、学ぶ、研究するということの面で、積極性を持ったものであり、行動においてはきわめて不活発なものであった。積極的なのは、思考の面だけだったのである。
 しかし、大学を卒業するときには、それではいけない、ということで今度は、べテスダホームで「愛の実践」で、と思ったのである。小さな範囲であっても、と思った。その中で、イエス・キリストを信じ、洗礼を受けた。わたしの今の信仰の基本的なところは、べテスダホームでの5年間の経験が大きいであろう。既に、わたしは「この世では、あなたがたには悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」という主イエスの言葉を自分のものとしていた。早い時期から、わたしは「勝利者イエス」を信じていた。その後、ベテスダホームをやめ、神学校に行ったのだが、前にもこのブログに書いたと思うが、そこで自分のことで煩悶し、そのとき、ルターの「ガラテヤ書大講解」の抄訳で、3章13節のところを読んだとき、わたしは、はっきりとプロテスタントになった。信仰義認の説教こそ、今度は、わたしの全力でなすべきこととなったのである。しかし、わたしはそれだけではすまないものを持っていたべテスダホームで経験したことは、いろいろな意味合いを含むものであって、わたしはそこで、戦争責任の問題、天皇制の問題に気づくようになっていたのである。これは、わたしが世界の破滅への予感を強くいだいていたことと無関係ではない。「平和」こそ、わたしの望むものだったのである。長くなった。また、書こう。
by iesukirisuto | 2011-06-07 10:34 | 随筆

マルクス主義の問題

 シモーヌ・ヴェイユの「自由と社会的抑圧」(冨原眞弓訳、岩波文庫)の第2章「マルクス主義の批判」のところを読んでいると、わたしがマルクス主義に前から疑問に思っていることがはっきり書かれている。
 これは、2009年5月23日のわたしのブログに打ち込んだ文章にも書かれていることだが、そこで、わたしは私有財産制をなくしたら、本当に、問題が解決するとは思えない、と書いた。これはマルクスが、本当に信じていたらしいのだが。
 ヴェイユは、大工場があり、競合する相手がいるかぎり、労働者は搾取され、社会的抑圧はなくならない、と断言している。これを1934年の時点で、断言しているのである。わたしが、マルクス主義に説得されなかったのは、ここにあったのだ、と思った。
 マルクスの資本主義の分析は、学ぶに足るものであろうが、革命によって解決するというのは、幻想だったし、わたしはこの幻想を信じたことは一度もなかった。一つは、ドストエフスキーを読んでいたせいであろう。マルクスの人間理解、社会理解には、足りないもの、間違っているところがあるのである。
by iesukirisuto | 2011-06-05 23:54 | 評論
 このブログを始めたとき、わたしは何事かをしようとしていた。それが、自分にも明瞭であったわけではない。ただ、20代にわたしが抱えていた問題に、もう一度取り組みたい、ということはあった。神学校に行ってからは、神学の勉強ばかりしていた、と言ってもいいぐらいだった。ときおり、リルケの詩や、ドストエフスキーの小説を読み直すぐらいだった。
 しかし、60歳になって、神学の勉強がひと段落したせいもあって、もう一度読み直したいと思っていた書物を読み直す気になった。いずれ書物を整理しなければならない、ということもあった。
 それで、この2年間していて、ある意味で、20代の問題意識で、今のわたしの地平から、青年時代の問題意識を検証したというようなところがある。ある意味で、今の自分から20代の問題意識の成否を問うたようなところがある。そうすることによって、若い時の問題意識から解放されたところがある。
 そして、自分が本当に小説を書きたかったのかどうか、それは、あやしい、と思うようになっている。結局、わたしの問題は、「この核戦争によって、いつ滅びるかもしれない世界に、どのように生きるか」という問題だった、とのである。また「世界をどのようにすれば救うことができるか」という問題でもあった。この二つの問いは、イエス・キリストを信じることと、イエス・キリストを宣べ伝える、という答えに向かっていった。ここ25年間、わたしがしていたことはそのようなことである。
 しかし、今の教会に赴任して、ここが大阪というせいもあって、わたしは新しい段階に入った、と思う。
 それは、バルトからブルームハルトに移り始めたということか。「教会中心」から「神の国」中心に移り始めた、ということであろうか。
 なかなか、今日、このブログに書こうと思ったことに到着できないのだが、わたしは、「総まとめ」から「責任を負う生活」をもっと追求しよう、という気持ちになっている。
 ある意味で、わたしは「総まとめ」をすることによって、引退の用意をしようと思っていたところがある、と思う。しかし、わたしは、引退などはない、最期の最期まで、責任を果たすことをめざすべきなのだ、と気づき始めたということであろう。
 このことは、また書くことになるだろう。
by iesukirisuto | 2011-06-05 20:17 | 随筆

内なる人

 パウロは時々、「内なる人」という言い方をしているが、どうもよくわからなかった。それが、アウグスティヌスのものを読んでいて、突然、そうか、と思うところがあった。

 彼は、エフエソの信徒への手紙3章16節で、こう書いている。

 「どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように」

 どう祈っていいかわからないところがあったが、新しく、祈る言葉を与えられた。
by iesukirisuto | 2011-06-02 10:36 | 随筆