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 神の言葉を求めて


by iesukirisuto

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 再読と言っても、もう何回も読んでいる。今回が、もっとも深いところまで読み進めていると、自覚している。
 ソクラテスは驚くべき人物だ。しかし、彼の議論には、必ずしも肯定できないところがあるのを、今回初めて気づいた。彼には、ある種の矛盾があるのではないか。

 それにしても驚くべき人物ではある。

 哲学することは、ソクラテスにおいてまさに命がけのことになったのである。ソクラテスは、知らないことを、知らないとはっきりさせ、言明すること、特に他者の無知を暴露することは、命を失うことになりかねないことを示している。
by iesukirisuto | 2010-10-31 17:57 | 随筆

教団総会から帰って

 昨夜、教団総会から帰ってきた。悪い意味で、歴史に残る総会になった。

 そして、予想された最悪の事態になった。しかし、不思議なほど、さっぱりした気分で、疲れもあまり感じていない。

 しばらくは、猶予があるだろう。しかし、厳しいたたかいを覚悟しなければならないときが来るかもしれない。
by iesukirisuto | 2010-10-30 00:26 | 随筆

直面しているもの

 どうやら、わたしは、人生最大の重大事に直面しているようである。

 ある意味で、わたしのこれまでの人生の歩みは、このために準備されたものであったのかもしれない、と思っている。

 この戦いに、あらゆるものが動員されているのである。
by iesukirisuto | 2010-10-24 16:22 | 随筆

神に対する愛

 聖霊の働きについて、隣人愛があると、わたしは思っていた。しかし、神に対する愛も、聖霊の働らきではないか。

 これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。
(ガラテヤの信徒への手紙5章22,23節)

 ここに引用した聖書の箇所の、「愛」をわたしはこれまで専ら、隣人に対する「愛」と解釈してきたが、まず第一に「神に対する愛」ではないか。コリントの信徒への手紙 一 13章に書かれている「愛」はむしろ隣人に対する愛に思われるが、ガラテヤの信徒へのここの愛は、隣人愛に限定されないのではないか。
by iesukirisuto | 2010-10-19 14:41 | 随筆

西田幾多郎著「場所」

 西田幾多郎の「場所」をまた少し読み直している。「真の無の場所は、存在である。」という言葉をとらえた。どうやら、ここが地面らしい。今回は、ときどき地が見える気がする。何が、言われているか、全体がぼんやりとつかめてきている。
 西田哲学をある程度つかんで、カントの「純粋理性批判」を読み直してみると、またカント理解がかわるようにも思える。
by iesukirisuto | 2010-10-09 18:40 | 随筆

法句経のこと

 「釈尊のさとり」を読み、正法眼蔵の現成公案のところを読み、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」を読んだあと、「法句経」を読んで、今までで一番核心部に近付いたと思う。少し句を覚えるくらいになってきた。

 しかし、今、読書量はかなり減っている。これは、多少、わたしの心にありさまがかわったせいのように思われるが、最近の身辺多事のせいもある。

 日本キリスト教団は、戦後65年目にして、最悪の事態を招きつつある。そのことを座視はできないのである。
by iesukirisuto | 2010-10-04 10:41 | 随筆