人気ブログランキング |

 神の言葉を求めて


by iesukirisuto

<   2010年 04月 ( 6 )   > この月の画像一覧

 父ブルームハルトの『悩める魂への慰め』(手島欣二郎訳 1957年 新教出版社刊)、これで何度、読んだかわからないが、まるではじめて読んだようなところが、何箇所もある。

 前から、父ブルームハルトの祈りの特徴として、「われらの救い主、主イエス・キリストよ」と呼びかけることがあるのには、前から気づいていたが、今回気づかされたのは、父ブルーハルトは、イエス・キリストとの絶えざる交わりの内にあるということである。「絶えず祈る」ということは、イエス・キリストとの絶えざる交わりの内にあるということであり、絶えずイエス・キリストに思いを向けているということであり、それは言葉がなくても祈りである、ということである。
 カール・バルトは、神の言葉の出来事性を強調したが、それは、バルトは、人間が神を取り込むことなどできないこと、神と人間には何の連続性もないことを強調せざるを得なかったからである。
 しかし、この交わりの連続性というものをバルトも否定はしないであろう。

 救い主イエス・キリストから御言葉をいただくことと、祈ること。この双方から交わりが成り立っている。
by iesukirisuto | 2010-04-27 21:31 | 随筆
 現在、わたしの身に起きつつあることは、私自身にも驚きである。ある種の霊的な出来事がわたしに起きつつあるのである。ブルームハルト父子のことが、今までになく身近になり、この間は、ヨハネによる福音書を通読しながら、今までになく、御言葉が迫ってくる経験をしている。
 今度の、戒規適用問題についての取り組みは、わたしにとっては、霊的覚醒の経験になりつつある。ブログを一年ほど前から、取り組み始め、ある程度自分の思想をまとめてきたのは、このためだったのか、とさえ思う。
 そして、今既に始まっている戦いは、あの時、ベテスダホームで始まったことが今なお前進しているのだ、という思いになっている。
 あの時、ベテスダホームという狭い場所で、戦われた戦いが、わたしにとっては、今や沖縄から北海道にまで広がった戦いになりつつある。つまり、全教団的な戦いにまで到っていると思われる。
by iesukirisuto | 2010-04-27 16:40 | 随筆
 今や、北海道から沖縄までの人たちと連絡し合っているのであるが、私自身にも、信仰の出来事とでも言うべきことが起きている。今や、日本基督教団の焦眉の問題に取り組むようになってしまったのだが、これまでに、ブルームハルトが身近になっている。
 ロベール・ルジューンという人が編集し、井上良雄先生が翻訳した『子ブルームハルトの生涯と使信』(2001年新教出版社刊)という本をこれで7度目ぐらい読み直しているのだが、今までになく、心の奥に入ってくる。そして、私自身がかえられていくのを感じている。そして、わたしが、あちこちで、語ることが影響を及ぼしていくのを感じるのである。それも信仰的なことに関してである。
 わたしは、こうしたことに用いられていることに感謝している。もっと、謙遜に歩まなければならない。
by iesukirisuto | 2010-04-21 20:39 | 随筆

戦いの場に

 わたしは、今、戦いの場に引き出されているのを感じている。数多くの聖書の言葉が、わたしに明らかになってきている。
 このブログを始めたとき、わたしは、自分がこれまで考えてきたこと、学んできたことを全く知られないままにしておくのは良くないと思っていた。わたしの考えてきたことが、全く無に帰してしまうのは惜しいと思ったからである。わたしは、もう少しでも、自分は認められてもいいのではないか、とひそかに思っていたのである。しかし、たとえば、カール・バルトのような人の業績を見ると、自分が特別新しいことを明らかにしたわけでもなく、何か、学問的にすぐれたことをしたわけでもない、ということを思い、世に多くの書物があふれていて、その多くは人を惑わしてばかりいるのに、わたしのようなものが何をするのか、という思いが強かった。多少、ものがわかってくると、世の中の評価というものがいかにいい加減なものかわかってきて、世の中で有名になることがどれほど空しいことかわかってくる。小泉首相のときの国民の熱狂ぶりを見て、日本人の多くにすっかりあいそをつかしたということもある。
 それでも、わたしは、このブログで、何事かをしようとしてきた。基本的には、わたしも60歳を越えて、これまで抱えてきていた問題に取り組んだということがある。資本主義社会の問題、マルクス主義をどうとらえるか、といった問題だった。それと、神学的なことが根本にあった。それを、この1年間取り組んできたのである。
 しかし、思いがけない事態が起きてきた。
 わたしは、思いがけず、戦いの場に引き出され、戦うように召しだされている自分を発見したのである。わたしは、語り、行動しなければならなかった。こうして、わたしは思いがけず、自分の学びを、全体教会の場で、用いて戦うように召しだされている自分を見出している。わたしが学んできたこと、考えてきたこと、根本的に教えられてきたことを、今、わたしは用いるように命じられている。与えられた賜物を存分に用いること。そして、欠けている知恵を祈り求めること。御霊の剣、即ち神の言葉を求めること。
by iesukirisuto | 2010-04-15 00:36 | 随筆

つるぎがある

ある言葉が、心の中で繰り返される。

 つるぎがある、
 とぎ、かつ、みがいたつるぎがある。
 殺すためにといであり、
 いなずまのようにきらめくためにみがいてある。

 エゼキエル書21章9~10節
by iesukirisuto | 2010-04-14 19:45 | 随筆

嵐の中を前進

 ここ一週間以上、嵐の中を進むような日々だった。その詳細を書く時間はない。非常に行動的であったと言えるであろう。
by iesukirisuto | 2010-04-08 15:02 | 随筆