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 神の言葉を求めて


by iesukirisuto

カルヴァンの予定説 2

 カルヴァンの予定説で問題なのは、カルヴァンの予定説は、神の主権の絶対性を言っているので、神の恵みが一番強調されているわけではない、というところであろう。長崎時代、日本基督教会のある牧師と、「綱要」の勉強会をしていたとき、その牧師が二重予定説に同意できないようなことを言っていたのを覚えている。
 カルヴァンの予定説は、十分、福音的とは言えない。そこが問題だろう。ここでは、神の恵みより、神の主権が強調されすぎていると思う。
 やはり、神の栄光より、神の恵みを強調すべきではないか。神の恵みに神の栄光が現れていると思うべきであろう。そうでなければ、福音書やパウロの手紙において、あれほど言われている、神の愛とか、神の憐れみが後退してしまうのではないか。
 また、カルヴァンの予定説は、決定論という思想にとらわれているのではないか。これは、古代の教会にあった、「予知と予定」ということに縛られすぎていると思われる。もちろん、予知とか予定とか言えば、神の予定とか予知は、聖書のあちこちにうかがえるが、これをアウグスティヌスやカルヴァンのように、大規模に展開して、固定した教説にしてしまうのは、行き過ぎに思われるのである。
 バルトの場合、神の主権性は、啓示がその人に与えられるかどうかは、神の自由なのである。しかし、救われるかどうかは、天地創造の前から、神が決定されていたとする予定説は、行き過ぎだろう。
by iesukirisuto | 2010-09-22 18:40 | 随筆