人気ブログランキング | 話題のタグを見る

 神の言葉を求めて


by iesukirisuto

御言葉をください2 

 「御言葉をください」を更新しようとして、パスワードを忘れてしまい、どうしようもなくて「御言葉をください2」という名前で、新しいブログを開設した。ケーキのような壁紙が趣味ではないが、それを改めるのも面倒なので、そのままにしておくしかない。

 このブログの読者は、そう多くないでしょうが、読んでくださっている方々に感謝しています。これからは「御言葉をください2」で検索してくださるうようにお願いいたします。既に、いくつか投稿しています。

 あるいは、kokakusouhachi でも検索できます。

あるいは, kyurios.exblog.jp
でも検索できます。

 あるいは、左の「お気に入りブログ」の欄の「御言葉をください2」をクリックしてくださっても 結構です。それが一番簡単です。

 こかく そうはち
# by iesukirisuto | 2011-09-03 14:26 | 随筆
 1936年、バルトがスイスに帰る前に講演した「福音と律法」という講演を、これで三度めくらいか、読み直した。「ルターとバルト」の相違を考えるのによいと思ったからである。
 よく理解できていると自分では思っていたが、思いかけず、最後の方が難解であることに気づいた。それでもバルトの言っていることの大体わかったと思う。
# by iesukirisuto | 2011-07-30 22:03 | 随筆

バルトのキリスト論

 バルトがいつ頃から、キリスト論に注目し、自分の神学の中核に置こうとしてきたのか、「教会教義学」の冒頭のところを読みながら考え始めたのであるが、どうも「エンヒュポタシス」の教説を発見した1924年ごろにさかのぼるらしい。1925/26年のヨハネによる福音書の講解を試みていて、そこでヨハネによる福音書の冒頭に取り組んでいて、これが案外大きいのかもしれない。

 またアンセルムスの「クール・デウス・ホモ」を大学の講義で取り扱い、やがてアンセルムス研究から「知解を求める信仰」を書いている。それが1931年。「教会教義学」のⅠ/1を出しているのが1932年である。「教会教義学」に入ったとき、キリスト論の大枠は定まっていたと思われる。
 同じように啓示概念に、バルトはいつから目を向けるようになったのかという問いがあるが、これは、おそらく、「ロマ書講解」の執筆をしていたとき、そのものに経験したことに由来しているのではないか。ブルームハルトの「神は神だ。世界は世界だ。」とキルケゴールの「永遠と時間の無限の質的相違」が、ヒントをバルトに与えていたのではないか。

 また「神の言葉」と「神の啓示」は、同時に彼に示されたことではなかったか。しかし、キリスト論的になるのは、「ロマ書講解」の後のことで、1927年の「義認と聖化」においては、まだ「教会教義学」を思わせるところがなく、まだ「ロマ書講解」を思わせる。しかし、1935年の「福音と律法」はきわめてキリスト論的である。今の段階では、1927年から1932年ぐらいの間に、キリスト論で探求を始めるという道が選び取られたようである。
# by iesukirisuto | 2011-07-29 17:45 | 随筆

ルターとバルト

 バルトの三位一体論を読みながら、自分が案外、ルター的なところがあるのに気づき始めている。

 わたしは、神というとき、まず創造者なる神を考え、イスラエルの解放者なる神を考えていたが、これは間違いで、永遠のおいては、神は永遠の父であり、永遠の子であり、永遠の霊であって、一人の神であり、その上で創造者なる神であり、和解者なる神であり、救済者なる神であるということである。御子は、永遠の昔から生きておられ、御子はみ父から生まれた。そして、父と子からそれぞれに永遠の霊が発出したのである。

 聖霊が、わたしたちに与えられるようになったのはペンテコステの出来事からであるにしても、聖霊がキリストから発出したのは、その時からのように思われるのは、わたしたちにそうなのであって、永遠の三位一体においては永遠の昔に父と子から発出したのである。

 わたしは、創世記第3章から原罪を考えていたが、キリストの十字架の上での死からバルトは考えている。原罪が克服されたところから、原罪を解き明かそうとしている。

 わたしは、ドストエフスキーやミルトンやアウグスティヌスによって導かれて考えてきたので、バルトの言っていることが最初はとても受け入れられなかった。しかし、新約聖書の言っているところに従えば、むしろバルトの方が正しいのであろう。

 またわたしはドストエフスキーによって神義論に導かれたのであるが、これは、よい面と悪い面があったであろう。

 バルトほど徹底してイエス・キリストから離れず、キリスト論に集中することによって、それ以前にもそれ以後にもいないであろう。このキリスト論をとって離さなかったことによって、バルトは神学において決定的な貢献をしたのである。

 わたしは律法から罪を考えた。バルトは、キリストから十字架から考えた。

 バルトは徹底して考えている。今回、わたしは、彼の思考を徹底して追考することを試みて、いかに自分が考えてこなかったかということを思い知らされている。
 わたしは父なる神と子なる神を二神論的に考える傾向があったのではないか。
# by iesukirisuto | 2011-07-27 13:31 | 随筆

バルトの三位一体論

 カール・バルトの「教会教義学」を最初から、順番を追って読みなおそうという気持ちになって、まず1節から7節までの、「教義学の規準としての神の言葉」のところ、このところが第1章になっているのだが、ここをまず読み直した。その上で、第2章「神の啓示」のところを読み直している。この第2章は、「三位一体の神」「言葉の受肉」「聖霊の注ぎ」で構成されている。第3章は「聖書」第4章は「教会の宣教」。
 三位一体のところは、もう何度も読んでいるところで、もう何か特に新しいことが学べるとは思っていなかったのだが、それがいかに大きな考え違いがわかった。驚いたのは、バルトが、イエス・キリストの啓示をいかに決定的に重要だと考えているか、ということである。彼は、神も、啓示も、神の言葉も、イエス・キリストから一歩もはずれまいと固く決意して、少しも揺るがない。おそらく、バルトは、そのことをヨハネによる福音書の研究から深く学んだのであろう。
 バルトが「罪」のことを考えるとき、創世記第3章から始めないで、イエス・キリストの十字架の死を起点として考えたことは、わたしには驚きだったが、同じように、彼は、イエス・キリストの死と復活から創造主なる神、父なる神に目を向けるのである。創世記第1章から、バルトは創造主なる神を考えないで、イエスの死と復活から創造主なる神を考えたのである。このような道筋を通ったのは、バルトが「ロマ書講解」で、決定的に重大なことを「神に示された」からだと思う。バルトは、ロマ書を通って、創世記に達したのである。「教会教義学」の冒頭で、既にバルトは、非常に自覚的に、作業を進めている。「教会教義学」は冒頭から、きわめてキリスト論的なのである。
 わたしは「知解を求める信仰」を読み終えて、バルトの基本的に重要なことは理解できた、と思っていた。しかし、それは、とんでもない考え違いだった。「知解を求める信仰」は、1930年に書かれており、1932年に「教会教義学」の第1巻第1分冊が出版されている。そこでは、既に「三位一体論」が書き記されているのである。私は、やっとバルト理解の端緒に立っているのであろう。
# by iesukirisuto | 2011-07-26 23:20 | 随筆