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 神の言葉を求めて


by iesukirisuto
 崔 善愛著の『父とショパン』(2008年、影書房)を読み終えた。これは、今度、崔 善愛さんを教区の集会の講師としてお迎えするので、その準備の意味もあって、読んだのであるが、今後、私が進むべき方向に重大な示唆を与えてくれた。
 この著作は、日本社会、日本という国家を考えさせてくれる基本的な著作と言えよう。わたしが、これまで十分見通すことのできずにきていたことが、この著作によって、一挙に切り開かれて、遠くからであっても見えるようになってきた気がする。
 これから、この著作は、わたしがものを考える上で、常に導きとなってくれるだろう。自分では気づけない自分の日本人性というものに気づかせてくれる稀有な書物だ。
 
 責任ということをキーワードに考え始めたが、「日の丸・君が代強制問題」と「教団の戦争責任問題」に取り組むことが、今日、日本基督教団の属しているキリスト者の責任ではなかろうか。もちろん、他にも責任はある。しかし、わたしの場合は、それに集中したい。32歳ぐらいからは、福音宣教を第一、説教第一と考えて、この30年間歩んできたが、それはそれでよかったとも思うが、やはり足りないことがあった。問題のところがあった。それに取り組みたい。
# by iesukirisuto | 2009-12-10 15:17 | 評論

熊野義孝の三位一体論

 熊野義孝の三位一体論を、彼の『教義学』で再読した。大事なことで教わったことがある。彼が言う「終末論」の意味を、私は誤解しているようだ。そう簡単に批判できないところもある。
# by iesukirisuto | 2009-12-09 16:46 | 評論

読書の仕方

 読書の仕方について、ここで考えておきたい。今までは、割と、自分のしたいようにして読書してきた。そうしないと続かないということもあった。森有正のいう「内心の促し」というものを信じた、とも言えるかもしれない。
 しかし、これからは、責任ということも考えたい。今、責任をもって生きるためには、まず何をすべきかということで、その上でで、何を読むかということが出てくる。
 かつての宿題だった、読まなければと思っていた書物はかなり読んできた。課題として与えられている仕事に関する書物や資料を読むこと。
 しかし、最後には、そうしたことから解放されて休息と喜びのための読書もあってもいいだろう。
# by iesukirisuto | 2009-12-09 14:36 | 随筆

服従の初め

 私は、『知解を求める信仰』と「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びることはない。」という主の御言葉を関連づけて考えてみた。この数ヶ月そうだった。
 しかし、いまや二つ目の決定的な言葉を考え始めている。それは、「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。だれを恐るべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。」という言葉である。

 考えてみると、第一の言葉がわたしを救い、イエス・キリストを信じる者とさせたとしたら、第ニの言葉は私にイエス・キリストに従うことを迫ったのである。信仰と服従は、本来分離できるものではない。パウロは「信仰の従順」という言葉を使っている。しかし、わたしの身に実際起こったことを振り返ってみると、イエスの言葉を信じたのは、24歳の浅間山荘事件のあった後だったし、「恐れてはならない」という言葉を聞いたのは、28歳のときのことであって、4年間の隔たりがある。わたしの決定的な歩みが始まったのは、人間関係の中でのことだった。わたしは、労働組合の委員長の責任を果たさなければならない、と思って竹浪さんのうちを訪問し、そこで、竹浪さんから、わたしの不甲斐なさをなじられたのだった。このことは、わたしを深刻な反省におとしいれ、わたしはS氏と戦わなければならない、と思わせたのである。たまたま、理事長室で、理事長とS氏と話すことがあって、そのときS氏にきつい言葉を投げられたということもある。しかし、決定的なのは竹浪さんの言葉だった。わたしは弁解できないものを感じたのである。そして、S氏と戦おうと思ったが、それは恐ろしいことだったのである。そのときのことである。主の言葉がわたしに臨んだのは。それは、今言うなら、服従への召喚と言えるかもしれない。

 考えてみると、わたしの服従のはじめは、洗礼を受けたことではなかった。あのとき、イエス・キリストの言葉がわたしに臨んで、わたしが恐怖を抱きながらも主に従ったときである。もう、あのとき、聖霊はわたしに臨んでいたろう。

 一年後、キルケゴールの「イエスの招き」(キリスト教の修練)を読んでいたとき、最後に残っていた疑問、「イエスは神の子である」ということを意識して信じるようになり、教会に行き、洗礼を受けたのである。こうして振り返ってみると、わたしには、聖書が決定的であり、教会員の一員であるキルケゴールは、最後のひとおしをしてくれたのだということがわかる。熊野義孝のように最初に教会ありき、ではない。
 しかし、よく考えてみると、教会なしに信じたわけでもない。なぜなら、最初の案内人はドストエフスキーであり、彼はロシア正教会と無関係ではないし、その後読んだアウグスティヌス、その生き方に強く影響を受けたアッシジのフランチェスコは、教会なしに考えることができないからである。単独者として有名なキルケゴールもやはり教会抜きに考えることはできないのである。
# by iesukirisuto | 2009-12-09 13:53 | 随筆

熊野神学の問題点

 1962年に上梓された『キリスト教概説』をこれで4度目、読み終えた。これは、熊野義孝60歳のときの著作で、熊野神学を手ごろに概観できると考えてこれまで読んできた。
 結局、熊野義孝の関心は教会形成であり、そのことは、最初から最後まで一貫しているようである。私の場合、関心事はそこになかったから、すぐに彼の書いているものに共感できないできた。今度、読み直してみて、基本的なところでも問題を感じないではいられない。たとえば、贖罪論でもアンセルムスの名は出てきても、ルッターの名前は出てこない。一体、熊野義孝はプロテスタントなのか、と思わず言いたくなるところが熊野氏にはある。本人もそのことは気づいていたようで、『ローマには行かず』というような題の論文まである。私だったら、『ガラテヤ書大講解』と言うところで彼は、『クール デウス ホモ』と言う。また古代の教会のことに言及することも多い。なるほど、教会は宗教改革以前も存在していたのだから、熊野さんの言うことも間違いではない。しかし、宗教改革が、彼の立場だとあまり大きな意味を持っていないのではないか。熊野義孝においては、教会形成が重んじられるあまり、宗教改革が軽んじられているように思われる。「信仰義認」ということもあまり明確にされていない。また、熊野義孝は、戦後の諸教派の日本基督教団からの離脱は、アメリカの教会からの資金援助をめぐって起きたように書いているが、そうなのか。
 私が、特に問題に感じた箇所を抜書きしておく。

 いちばんいけないのは、神についてばかり考えたり、終末的なことがらにばかり想念を傾けることは、無責任な逃避と敗北に人々をみちびく恐れがあるから、この世の責任と倫理について、もっともっと学ばなければならないというような、一見もっともな、しかしたいへん間の抜けた命題を、心の中でくりかえしてばかりいることである。(新教新書 156頁)

 これは、熊野義孝に向けられた批判の言葉を集約したものではないか。しかし、この批判はあたっていて、彼は、それを少しは知っていて、自分の中でそれを振り払おうとして躍起になっていたのではないか。「心の中でくりかえして」いたのは、熊野氏だったのではないか。

 また、こういう言葉もある。これが、熊野氏の聖礼典理解であろうが、これこそ、未受洗者を聖餐にあずかせるのに絶対反対する理由ではないか。

 そして、その礼拝儀式において、キリストの身体性を明確にするための「礼典」が行われる。(135頁)

 これでは、教会が教会であることをはっきりさせるために「聖餐式」があることになる。「聖餐式」はそうしたことのためにあるのだろうか。すべては、「キリストのために」ということではなくて、「キリストの身体のために、すなわち、教会のために」ということになっているのではないか。

 教会はふかい根底において、終末論的な存在である。(132頁)

 これで、終末論ということで、熊野氏が何を考えているかわかる。彼は、終末論も教会から考えている。教会こそ、彼の関心事なのである。そのため「神の国」と教会の同一視が起きている。彼の、関心事は、イエス・キリストではないのではないか。イエス・キリストは「教会の主」としてだけ彼の関心事なのではないか。

 彼は、教会に目を向け、キリスト教史にまず目を向けている。聖書ではない。ここに、彼の決定的な問題があるのではないか。
 

 
# by iesukirisuto | 2009-12-09 11:55 | 評論